知冬の暮らしの手帖

27歳の知冬(ともふゆ)が綴る日々のあれこれです。

剣道日記: 久しぶりの剣道

剣道日記 1月17日(金)

 昨日は久しぶりの剣道稽古だった。久々のブランクのある中、本来ならば昨日から再開すべきところを、プロフェッショナルの見逃し配信を見出してからもっとそれらが見たくなり、結果的に6時間くらいぶっ続けで様々な配信を見てしまい、自分の弱い心が露呈してしまった気がしている。
 というのも、「剣道に行かねば」「英語を勉強せねば」という「…べき」的思考がありつつもなんとなくそれをペンディングしてしまい、「それが出来なかった自分ってめっちゃだめな奴やん…」と悶々鬱々ああああもう全部嫌だ…という幻滅思考に入ってしまう傾向があった。しかし先日に読んだ『自己肯定感の教科書』によると、そんな自分をとにかく認め、さらには丸をあげよう、というのである。そんな甘々な日々を送って良いのかしらんと思いつつ、きっとそういう好意を続けることによって、自分が本当にやりたいことが見つかっていくのかなあとも思っている次第なのである。
 さて、剣道の話である。金曜日も結局「やっぱり今日はやめようかな」と少しは思ったものなのだが、今日はとりあえず行ってみようと思って行ってみたらまあ本当に楽しかった。一つ一つ丁寧に教えてくださる先生方の姿勢にも感化されたし、純粋に稽古を重ねるたびに僅かながら成長していく自分がとても楽しいのである。
 こういうことって、僕にとっては色々なことに言える気がして、当てはまる気がしてなりません。
 学校の授業の準備にだってそうです。あれほど色々な準備を構想し、こんなこと、あんなことをやってみたいと、まるで四次元ポケットの中を空想するほどに興奮していた時があったかと思えば、なんだか結局冬休み最終日にまだ宿題開いてすらいない状態の自分が居たり。そんな僕につける薬なんてあるのでしょうか。
 きっと、僕がすべきことって、ラストスパート型からロケットスタート型への転向。または、自分で決めたやりたいことのスケジューリングの見直し、またはその両方が必要なのかなあと思われる。
 僕がよく陥るパターンの一つとしては、例えば映画鑑賞や読書の誘惑に駆られてしまうことである。別にそれが駄目かと聞かれれば決してそうでも無い気もしているのだけど、やはり結局それらを優先した結果、授業準備は何も構想ゼロ(もちろん理想が高すぎるのかも)→幻滅というパターンはこれまで何度も経験しているのだから、僕も今年はいい加減変わりたいと思っているのであります。

 さて、剣道の話。

 とりあえず、一打ち一打ちをお腹の丹田と接続して「面ええん(パシン!+足のパシン!)!」と決めることが重要であるということ。竹刀の先がしなるように、その一打ちの落としどころを意識して一つ一つの動作を完了すること。そういうことが大切とアドバイスをいただいた。
 正直、その場で書き残したいことが山々なほど、先生方の毎回のアドバイスは本当に的確なものばかりで驚かされてしまう。内田樹師匠が以前著書の中で、学術的な能力の涵養よりも武術的な能力の涵養の方がよっぽどやりやすい。なぜならそれは身体的なものだから。といった話をしていたことを思い出す。

 とりあえず、行くのが億劫でも、僕は剣道に行こう。他人に優しく、自分に厳しくってね。