知冬の暮らしの手帖

27歳の知冬(ともふゆ)が綴る日々のあれこれです。

エッセイ: 私の勉強法が見つからなかった自分の受験勉強の思い出

 

 現在27歳にもなると、センター試験の新聞発表を見ても、当時こんな難問と向き合っていたのか、なんて思ってしまう。高校時代は当たり前に思えた、むしろ優しいとすら考えられていたセンター試験の問題は、玉結びの仕方すら忘れかけたいまの僕にとっては科挙のように見えてしまう。

 年を重ねるごとに、自分の好きな科目が選別化されていく気がする。例えば僕は高校時代、政治経済が一番の得意科目だったけれど、なんでだったんだろう。英語はそれなりに得意だけど、国語は現代文しか読めない。古文は少しは読めるのかもしれないけれど、漢文は悪いけど外国語の試験に入れるべきだと僕は思っている。

 そんなことより私の勉強法の話である。どうも僕のような勉強ベタは、勉強法の本ばかり読みふけって肝心の勉強を限りなく先延ばしにする傾向があった気がする。でも、そんな僕もある日を境に本気で勉強するようになったのだ。

 それまでの僕は部活と勉強の両立なんて全く出来ず、どちらも中途半端という絶望的な高校時代を送っていた。入っている部活もそれほど好きではなくノリで選んでしまったもの。行きたい大学も見当たらずそれなりのMARCHレベルを目指せと言われてもなんとなく東大に行けたら良いなあと思いつつそこまで努力をする気もあまり無かった気がしている。

 そんな僕に日の目を見せてくれたのは当時通っていた塾の塾長だった。いよいよ進路が全く分からなかった僕は高校の先生方に面談を申し込みカウンセリングをしていただいた。だけれど全く僕の進路は見いだされず、担任の先生から「お笑い芸人とか目指さないの?」と半分真顔で言われる次第であった。確かに、目指す価値はあったかもしれないけれど、当時は本気で考えられなかった。

 そんなこんなで半分泣きながらすがった塾長との面談で、僕は素直に言ってみた。

「自分では自分のことが頭良いと思ってるんです。だけど、勉強が下手なせいで全然成績は伸びず中の下だし、周りは分布相応の大学に行けと言うし。でも、自分は本当の力を出せば、もっともっと勉強出来るはずなんです」

 すると塾長は僕の得意科目や進路希望を丁寧にカウンセリングしてくれて、蛍雪時代の分厚い「全国大学内容案内」から数校かピックアップして僕にその可能性を教えてくれた。そして、ふとこう聞かれたのだ。

「知冬くん、早稲田、目指してみないかい?」 

 自分には雲の上の大学だと思っていた。そんな大学を自分が目指して良い訳ないと思っていた。だけど、塾長は合格レベルまで僕を伸ばす戦略を丁寧かつ大まかに説明してくださった。そして、いまの僕の熱い気持ちを絶やさず、早稲田を第一志望に据える覚悟を決めたのだ。

 あのときの覚悟の決まりっぷりは、個人的にも映画化に値するほどの大英断だったと思う。なぜって、「早稲田」の一言で、僕の身体の様々な部位がこれまでのしがらみを急速に溶かし、解放していくのを実感したからだ。親にも何て言えば良いか分からない。先生にも、この時期(3年生の夏頃)から志望校を下げるならまだしも、早稲田に上げるのは前代未聞のことだった。だけど、僕はその後親に勘当されかけても、担任に仰天されても、やはり貫いた。だって、本当に、心から目指したいと思える大学を見つけたからだ。

 そして、そこから怒濤の僕の受験勉強が始まった。塾長は僕に参考書と課題を毎週提供してくれた。メールで指示をくれることも多々あった。基本的には問題集を3周するというやり方を実践してみて、自分がこれまでいかに本当の勉強をしていなかったかを理解した。その時思ったことは、僕は本当にやる意義を見いだして、正しい努力の仕方を見つけた時、本当に強い力を発揮することが出来るのだ、と。

 E判定で始まった僕は、受験最後の模試でC判定までこぎ着けた。ここから、本当にミラクルがあるのかもしれない。政治経済の問題集で間違った問題の解説を全文ノートに書き写すという勉強法では、僕は12冊のノートを書き上げた(先生からは10冊作ったら合格すると言われた)。始めて政治経済の模試の順位で校内1位を取った。あのときの感動をいまでも覚えている。確かに辛かった。ペンだこだらけになった。でも、同時に、これをやれば良いというのが分かって勉強しているので、実は楽しかった。

 そうして迎えた早稲田受験。結果は、不合格だった。ミラクルは起きなかった。その日は人生で2度とないくらい、朝から晩まで泣いていた。自分にこんなに涙が流せるのか?と思っては泣いた。そう簡単に切り替えられなかった。だって、それまでの約半年、毎日毎秒早稲田のことだけを考えてやってきていたのだ。塾長も、結果を重く受け止めているようだった。

 *

 それから僕は滑り止めに受けたMARCHレベルの大学に進学した。最初はこんな大学と思っていたけど、そこから人生を変えるような新たな出会いがあり、どんな大学でも素晴らしい学友や先生は必ずいたし、学べることはあった。その後僕は本当の意味での学問に目覚め、旧帝大の大学院に進学することとなる。同輩には早稲田・慶応以上の大学出身者しかいなかった。そして、大学院を卒業し、僕の人生の一つの大きな章が一つ終わった気がした。
 
 いまになって、当時の僕が早稲田に落ちたことは随分納得している。あんなに急ピッチな仕上げではやはり無理だし、そこで落としてくれたことに今では感謝すらしている。あの経験はある種僕の人生の初めての大きな挫折となったけれど、本当に学べたことは多かった。
なにより、貴重な高校時代、期間は短かったかもしれないけれど、あれだけ自分と向き合う機会をくれた塾長には一生感謝するしかない。そして、僕はそんな塾長のように、希望の無い人間に人生を変えるような希望を与える人になりたいと今でも思っている。

 学ぶことは、変わること。受験勉強の時代を終えた僕は、ある種燃え尽きてしまっているのかもしれない。でも、心のどこかで、また新たな、高校時代にとっての僕の「早稲田」のようなものを探している気がする。毎日それのことばかり考えてしまうような、その夢が実現したことを考えると思わず小躍りしてしまうような、そんな夢を探している。本当の夢とそれを目指す価値を教えてくれた塾長、本当にありがとうございました。その夢を目指す行為が「学ぶ」ということなのですね。

 最後まで読んでくださってありがとうございました。

 

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by ギノ