知冬の暮らしの手帖

27歳の知冬(ともふゆ)が綴る日々のあれこれです。

本の感想:中島輝『何があっても「大丈夫。」と思えるようになる自己肯定感の教科書』ー人生はそんなに悪いものではない。

 

何があっても「大丈夫。」と思えるようになる 自己肯定感の教科書
 

  

 自己肯定感という言葉が叫ばれ始めて久しいのでしょうか。僕も自己肯定感が低いです。本当に。単純に、それまで忙しい日々がジェットコースターのように続いている中、ふと何もない日曜日に出くわすと、なんだかジェットコースターが緊急停止したように、不意に何もやる気がなくなってしまう。別に、本読んだり、映画を見たりするのだけれど、なんだかこれで良いのか?と自分の姿に自分で幻滅してしまう。しまいには自分が過去に犯した過ち的なものまで思い出してもう最悪です。

 

 じゃあ気分転換に何かやろうかと思ったところでベッドから起き上がれず、まずはこの映画をみてから、この動画をみてから、一眠りしてから、と結局夜になって何もしなかった自分、出来なかった自分を恨みまくって月曜日を迎えるという、まあ気分は最悪です。とにかく、調子が悪いことが多々あるのです。一喜一憂することがありまくるのです。でも、なんとかこんな自分を治したいと思いつつも、何もできない日々が続いていました。

 

 そんなある日、ひょんなことからこの一冊をプレゼントされる機会がありました。最初は単なる薄っぺらい本だと思っていましたが、なかなかエビデンスや例が多岐に渡っており、どんな人でも活用できそうな本でした。

 

 詳しい引用などはしませんが、僕なりに感じた自己肯定感の高め方を記しておきたいと思います。それは、まずは全てを受け入れることかなあ、と。失敗しても、失敗して良いんじゃない?XXが出来なかった…。でも、出来なくても良いんじゃない?と。こんな話を書くと、人生そんな甘くねーよ!となりがちですが(僕もそう思っていたのですが)、まあここを認めることで、確かに人生は生きやすくなるのだろうなあ、とは思いました。

 

 いま「レジリエンス」という言葉も流行っています。逆境力というのか、ミスで心を折らず、そこから立ち直る力、といったニュアンスらしいです。きっとこのレジリエンスも、自己肯定感に深く関与しているのだと思います。

 

 どうやら、人生何があっても大丈夫なようです。一喜一憂しすぎるというか、喜怒哀楽が激しい人ほど心が余計に疲れてまいっちゃうようです。なので、あくまでも今に集中して、どんどん自分に丸をあげる。自分はあくまでもツイているのだと考える。そういうことで、自己肯定感は高まっていくようです。

 

 なかなか簡単そうで難しい話題ですが、いまの自分に丸をあげ、それでも辛くなった時は本書を参考に、色々と具体的なテクニックを実践していこうと思います。

 

 最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

本の感想:増田俊也『北海タイムス物語』 ー仕事にもがく、頑張りたい僕らに書かれた物語

 先日三省堂を歩いていた。無目的に、なにか運命的な本との出会いを期待して歩いていた。なんだか鰻(うなぎ)を食べたい気がしていたので、鰻を待っている間に読める鰻本を探していたのだ。すると、案の定その本は僕だけに光を発してくれた。本の名前は『北海タイムス物語』。なんだかどっかでもおすすめされていたようだけど、なんとなく古臭い青春モノに思えたので敬遠していた。でも、こうして見ていると、なんとなく自分の人生に本当に意味で役立ちそうな一冊に思えてきたので、とりあえず購入してみた。

 

 

北海タイムス物語 (新潮文庫)

北海タイムス物語 (新潮文庫)

  • 作者:増田 俊也
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/10/27
  • メディア: 文庫
 

 

 

 これまでやけに積ん読が多いので、最近では買った本はできればその日のうちに読み終えるようにしている。まあ、そんなことは置いておきつつ、早速読み始めるとまあ面白い。以下、僕なりのあらすじと感想です。

 

 『北海タイムス』とは北海道で1998年に廃刊となった、100年以上の歴史を持つ名門地方紙のことである。北海道新聞しか知らなかったが、以前はそのライバルというか、朝日、毎日、読売などが進出するまでその双璧をなしていた新聞だという。

 

 著者の増田さんも元北海タイムスの記者ということもあり、この本では、経営が厳しいながらも崇高なジャーナリズム精神を持ちつつ、様々な悩みや葛藤に苦しみながらも、北海タイムスが大好きな人たちが繰り広げる青春の一端を垣間見ることができる。

 

 とまあ簡単にあらすじを書いてみたけど、読めばそれが普遍的な話であることが分かります。年収も少なくボーナスもあってないようなもの。絶望的な労働環境にプライベートもうまく行かない。そんな新入社員の野々村くん目線で物語は進んでいきます。もちろん、いまこんな会社があれば即ブラック企業、おわり。という話なのですが、舞台が名門地方新聞社ということもあり、そう簡単な話ではないのです。

 

 個人的に、こんなにも前のめりになって読んでしまう読書は久しぶりでした。内容が本当に共感でき、野々村くんの青春をどんどん追って読んでみたくなる。エピソードも笑って泣ける感動に満ちた話ばかりで、声をあげて笑ったあとに、思わず涙腺が熱くなることが多々ありました。

 

「仕事っていうのはな、恋愛と同じなんだ。おまえが好きだって思えば向こうも好きだって言ってくれる。おまえから抱きしめないかぎり、仕事の方もお前を見てくれないぞ」(『北海タイムス物語』より)

 

 こういういい話が結構あります。また、日々翻弄される野々村くんが行きつけるカフェ「ピリカ」という場所があるのですが、ここでのオーナーとのやりとりも格別です。アイヌ民族に関する話、恋に関する話。その全てが滋味に富んだ、雰囲気に満ち溢れています。

 

 最近文庫本となり、僕もそちらで読ませてもらいました。時代が違えど、大切なものはいつも変わらない。そんなことがぐっとよく分かる一冊でした。

 

 最後までよんだくださり、ありがとうございました。

エッセイ: 東京学生マンションで過ごした日々

Odai「思い出の一枚」

 

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お題:思い出の一枚

 長い出張が終わり、やっとこの札幌を離れる40分前である。美味しい料理も毎日食べると有り難みが無くなってしまうし、美味しい料理への感動も薄れてしまう。色々なものから隔離されたビジネスホテルでの生活も終わり、ロビーになんとなく置いてあった「ポンタくん」ともお別れした。最終日の彼は、雪も降ってないのに毛糸の帽子とマフラーをしていた。
 さて、思い出の一枚の話である。iPhoneの写真フォルダを見返すと、出るわ出るわ昔の写真たちの嵐である。きっと、これらを全て現像することはないのだろうが、絶対に大切な写真は現像し、それを物理的なアルバムに整理整頓した方が、なんとなく心には良いと思われる。さて、そんな中で見つけた写真がこの一枚である。

 どんな写真かといえば、これは僕が3,4年前まで住んでいた学生マンションの狭い一室に置かれた机である。都内の学生マンション(食堂つき)ということで本当に一室はビジネスホテルのシングルルームのそれだった。だけどもなんだか置きたいものは色々あって、ついに電子ピアノまで置いていた次第だった。でも、基本的にはベッドと机のみである。そして、ご覧の通り、タイプライターを置いている。その隣にはウイスキーフィルムカメラときたものだ。当時の僕のスタイルは「ハードボイルド」。ふと見た「探偵はバーにいる」が意外に面白すぎて僕はすっかりその雰囲気にはまっていたのだ(今でも時折見返す映画である)。

 この写真を見ると色々なことを思い出す。こんな狭い部屋で同棲を企み、結果的に僕が鬱っぽくなり破局といった結末も、就活のために上京した友人を泊まらせ、彼が用意した自己紹介のパワーポイントを添削したあげく合格し感謝感激されたあの日のことも。まったく、こんなに小さい都内の一室にこれほどまでに物語があるとは驚きである。基本的には、僕はこの部屋に寝っ転がり、その多くの時間を読書に費やしていた。イトーヨーカドーレジスタッフ、個人経営の居酒屋ホールスタッフ、塾の講師に至るまで、すべてこの寝床から半径200メートル以内にあったのだから、当時の僕がどれほどレイジーだったかは想像に難くない。

 特に当時の学習塾では、約2年間も務めたこともあり、大変にお世話になった。特に、塾長に自分が鬱々と学生生活を送っていることを吐露した時に「やりたいことを思いっきりやっていれば良いんだよ」と言われ、「僕は本を読むことがたぶんそれなんですが、親からあまり良く思われていなくて…」と返すと「いや、それで良いんだよ」と普段は厳しいキャラクターだった塾長がそう優しく諭してくれた終業時のエレベーター前での会話は今でも時折僕の支えとなる言葉だった。

 振り返って思うに、僕はこれまで色々な人の目線や考えそうなことを勝手に忖度し、自分の人生を自分の手で不当にねじ曲げてきた気がしている。そうだ。もっと自分の思いに素直に、周りが僕を曲げようとしても、僕は僕なりの信念を、あの日「絶対に上京したい。東京以外の大学は受けない」と全くぶれずに親に説得していた時のように、貫いていくべきなのだ。そうすれば、僕の人生はもっと楽しくなると思う。

 自分の思いに素直になれる部屋。それが、当時の僕の部屋だったのかもしれない。
 
 *

 最後まで読んでくださってありがとうございました。

エッセイ: ちょっとした贅沢とちょっとした余裕

Odai「ちょっとした贅沢」

 

お題:ちょっとした贅沢

 現在僕は新千歳空港のラウンジで飛行機を目の前にコーラを飲んでいる。空港のラウンジというのはちょっとした贅沢である。以前、ベトナムからカンボジアへ旅行した際、始めて本当の贅沢に位置するであろう、本物らしい「ラウンジ」を使用したことがある。そこではブッフェ食べ放題、新聞・雑誌読み放題、アルコール飲み放題、周りを見渡しても中流階級的な人はほぼおらず、というのもなんとそのラウンジはビジネスクラス以上の人だけが使えるらしいラウンジだったのだ。僕は当時、友人たちと4人でバックパッカーの旅をしていたのだが、期せずしてビジネスクラスに搭乗する異例のチャンスを得ていたのだ。なので、こうしたクレジットカードを持っているだけで入れる大学カフェのような名前だけの「ラウンジ」は、なんだか個人的には有り難みに欠けてしまう。

 そんなひねくれた話は置いておいて、ちょっとした贅沢の話である。僕にとってのちょっとした贅沢といえば、土曜日の朝である。土曜日の朝に起きて熱々のコーヒーやお茶を飲み、朝刊を広げる。土曜日は文芸欄が充実しており、様々な書評家の書評を目に出来る。そこで知り得たこれまで考えもしなかったような問題意識や概念に触れ、ちょっと良さそうな本があればそれを調べ、また名文があればそれをお気に入りのモレスキンにメモをする。こうした時間の使い方は大変に贅沢に思える。なんというか、僕にとってのちょっとした贅沢とは、「ちょっとした余裕」であるとも思える。普段の生活に余裕が欠けているからこそ実感できる贅沢なのかもしれない。
 
 また、誰かに手紙を書くこともまた贅沢な時間の使い方のように思える。心をまっさらにして、気を揉むことから解放された中で過ごす人生はとても豊かだ。かといって、全くそういったストレスフルな事象や、ふと息苦しく思える人間関係から解放されたところで、本当の孤独感に苛まれると意外とその人生は豊かではなくなる。ないものねだり、という安易な一言で片付ける気は無いのだが、プリキュアの「一難去ってまた一難ぶっちゃけありえない」という一節にはひどく共感せざるを得ない。まあ、生きているだけで良いのだと思う。

 また、自分の人生を生きていると思える時、人は贅沢を感じられるとも思う。僕は詳述しないが、これまで実に色々な人に自分の人生をオールを貸し出してしまっていたように思える時が多々ある。アドバイスに順応すぎたのか、自分の信念を貫くことを安易に放棄してしまっていたのか。とにかく、自分に甘かったのだ。

 だから、今年は、他者の正論そうな意見を出来るだけ受け流し、自分の頭で考え、そして自分の興味・関心の赴く方へ進んでいきたいと思う。その一助となるのがこのブログなのではないだろうか。村上春樹は以前「僕は書かないと考えられない」と話していた。そして、僕もその一節にはプリキュア同様本当に共感する。自分の思考を冷静に自分のものにとどめておくために、このブログというコウイ(行為・好意)を続けていこうと思う。でも、これまでのように変な更新に対する義務感などは気にせず、ひたすらに僕の雑記帳、暮しの手帖として色々なことを考えるために綴っていきたい。

 だから、なんというか、これまで僕はブログを作るたびに友人に教えていったのだが、今回は誰にも教えないでみようかなあ、なんて。まあ、そこら辺は置いておきます。

 今回は期せずしてとりとめのない記事となってしまいました。最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

マイブーム: なるべくスマホなどの画面から離れること

Odai「マイブーム」

 

 書きたいと思っていても単純に何を書けば良いのか分からずもがき始めてしまうのが、都市部のビジネスホテルの狭い一室に閉じ込められ、非効率の全てを奪われ、鏡の前のバーカウンターよりも幅の無いこのデスクでポメラを開く僕の悩み、というのは言い過ぎであるが、本当にこのビジネスホテルというのはその名前の通り細かい配慮や効率的な動作を促す工夫が見られすぎ、このサブスク全盛期にあえてレコードプレーヤーを買って2年続けたインスタを「そうだ、インスタやめよう」と一瞬で誕生日ケーキのろうそくの火を消すよりも早くアカウント削除してしまう僕にとっては少し頭の痛いホテルである。ちょっと長い一文を書きすぎて反省している。
 
 ということで、マイブームの話である。基本的に流行に流されるよりも時代を問わず輝きを放つ定番が大好きな自分にとって正直あまり話すべきマイブームは無いように思われる。と、深くこの話題にどのようにアプローチすべきか悩んでいるように見せかけて実は朝食会場にいつ行こうか、やお土産何買おうかなんて考えているし、そもそもやり方が分からないからもがくのであって、みなさんは僕の言動を異例の9割引きで気楽に読んでもらうと良いと思う。余談だが僕の好きな雰囲気というものが確かにあって、それは「暮しの手帖」や「POPEYE」、「&PREMIUM」などの雑誌や、こじゃれた、スタイルのあるカフェやバー、ラジオ番組だと、インターFMの「LAZY SUNDAY」、小説だと、まあやれやれだけど村上春樹な感じになる。総じて、適当に、だけど丁寧に、肩の力を抜きつつあの日夢で見た不思議なおしゃれな街の風景や匂いを想起させるそんな雰囲気が僕は大好きなのだ。

 ということで、マイブームの話である。いまふと思いついたのだが、「なるべくインターネットを使わない」というのは、一つ僕のマイブームかもしれない。いつも思うのだけど、僕らは画面を見過ぎではないだろうか。誰も何も言わないけれど、スクリーンモニタリング機能が1日全てに適用されたならば、我々は一体何時間何らかの画面を見ているのだろうか。東京なんて画面しかない気もしている。そこまで行かずとも、多くの人がテレビやスマホに一目惚れでもないのに目を奪われ続け、それってある種の中毒である。ヘビースモーカーを軽蔑する世相の一方で、こちらの中毒者にはなんとなく肯定の空気が流れている。でも、違和感やこれで良いのか?と危機感を抱いている人は確かにいると思う。でも、そうしたオフライン主義者をまたその点である種「イタい人」と軽蔑しかねない風潮もまたどうにかしなければならないとも思う。

 ひっくり返って置かれた腕時計が14時半を示していた。つまり8時である。朝食会場っは9時頃に閉まるので、まあ8時半には向かおうと思う。

 ということで、僕は最近オフラインを希望している。まず、うちには大学生の途中からテレビがない。最初はテレビを殺したことで生まれたその静寂さに思わず泣きそうになってしまったが、まあ慣れるものである。いまでは車のテレビがギャンギャンと鳴っているとそれだけで暗澹たる気持ちになってしまうからみなさんもテレビを殺すのは気をつけて。といいつつ実家や友人の家でテレビは見るし、暇つぶし(喫煙的)にスマホをのぞき、なぜか一服した感じになってしまう僕である。全否定をするつもりは全く無いのだけど(このブログを書く機会をいただけたのは誰の恩恵か)、ね。

 朝は新聞を読み、お弁当を作り、レコードを聞きながら本を読んで、剣道に通い、体を鍛え、ノートに明日の仕事の準備をする。まあ、こんな感じで良いのじゃないだろうか。ちなみに、この文章を書いているのはスマホやPCではなく「ポメラ」というアナログとデジタルの間に生まれたハーフの機器である。まあ、それはいいや。

 とりあえず、マイブームの話であった。総じて、僕は目が疲れるという意味で、画面を見ないことを常に模索していますし、それがマイブームだと思われます。次は、仕事の一服的に見てしまうスマホを、何かで代用出来ないかと考えていることです。まあ、読書が理想なのかもしれないけど、短い間でさらっと読めるものが良いので…、詩集?就業時間中にフェイスブックを更新したらそれはやめた方が良さそうだけど、就業時間中に手紙を書いていても誰も何も文句を言わなそうである。

 ということで、これからは一仕事終えた後詩集か雑誌を見て、もっと暇があればレターセットから手紙を取り出し友人に手紙を送りつけようと思います。

 なんだかマイブームが新たなマイブームを生み出しそうな予感です。最後まで読んでくださってありがとうございました。朝食を食べてきます。

2020年の抱負 27歳の抱負

今週のお題「2020年の抱負」

 

 みなさん、初めまして。私の名前は知冬(ともふゆ)と申します。現在27歳で、趣味は本を読んだり手紙を書いたりすることです。子どもの頃から、母か近くに住んでいた祖母の影響で、「暮しの手帖」の雰囲気が好きで、今回なんとなく自分もそんな雰囲気のブログを持ってみようと、立ち上げた次第であります。

 さて、2020年の抱負です。27歳ともなると色々と葛藤します。それが若さ故の特権であることは理解出来ても、やはり悩み続ける日々とはいささか辛いものです。「いったい何にそんなに毎日悩んでいるの?」とつっこまれそうですが、それは例えばいつまでこの仕事を続けるのだろうとか、いま付き合っている彼女と結婚すべきなのだろうか、とか、こうして書いてみると「自分て小さいなあ…」と思わずため息が出てしまいそうな、そんな物事についてです。

 結局は、「(周囲からの)こうあるべき」と「(自分的には)こうなりたい」のしょうもない対立で葛藤しているのだと思います。でも、それだけ悩むということは、まあそれだけ自分の思い描く理想を捨てたくないと思っているわけです。

 現在出張で札幌の某ビジネスホテルに滞在しています。正月特番がテレビを賑わせている中、僕はふとテレビのスイッチを切り、今年の抱負について真剣に考えてみようと思い至りました。どのくらい長くなるか、短くなるか今の僕には想像もつきませんが、なるだけ自分の葛藤の純度を落とさず書けたらなあと思います。

 僕は以前、池袋の占い師に占ってもらったことがあります。そこはマンションの一室で、当時大学生だった僕は友達と思い出作りの一環で、ちょっとした思いつきでドアを叩いた気がします。占い師の方は30代の男性でした。手相や生まれた時の時間などを参考にアドバイスをくれているようでした。ちなみに僕は占いが結構好きです。小学生の時、祖父にかってほしい本を頼まれねだった本が「誕生日占い大全」みたいな本でした。

 さて、その占い師の方は僕の手を見るなり「うわっ!」と笑ったのです。僕の手にだじゃれでも書いてるのかと思いきや、「あなた、色々な(女の)人とお付き合いしますね」と。要するによく付き合い、よく分かれる人間なのだそう。そして、20分以内であれば何でも聞いてくださいということで、色々と人生や将来について質問をしたのです。

 そんな時、その後の僕をある意味呪った一言をいただいた。それはこういう預言でした。「あなたは西暦20XX年の最後の下一桁が0、1、2、3の年じゃないと成功しませんね。だから、これから数年(2019年まで)は色々と苦労されると思います」とにかく、こんな預言を言われたら信じたくなくても無意識レベルで深刻に信じ始めてしまうのが僕でした。よって、僕は去年の12月末まで、来年から自分はきっと素敵な未来が…!とハードに夢想していたのでした。そしてなにより、メンズノンノの占い(立ち読みでそこしか読まない)でも来年は12年に一度の幸運期となるでしょうと書かれていたのです。

 ということで、色々と回りくどくなりましたが、まず大前提として、僕はこの2020年を良い年にしたいと思っているのです。では、具体的にどう「良く」したいのか。これについて以下で論じていきたいと思います。

 *

 と書き始めて3分が経過してしまいました。自分にとってどうしたら「より良い」自分になれるのか考えていると、思考が停止してしまったのです。だって、僕はいまそれなりに充実した有り難い生活をしているし、逆流性食道炎が中々完治しなかったり、人から「本当あんたって適当だよね~」と言われたり、自炊のレパートリーが野菜炒めか豚汁しかない程度の不満しか実は無く、なんだか自慢に聞こえたら恐縮なのですが、それなりに小確幸な毎日を過ごしている気がしています。でも、これを大学生の自分が読んだら、ちょっとイラッとするのかなあ。あのときは世界を股にかけてビッグな存在になって…、って、いまでもそうしたことに憧れはあるのですが、なんだか3年前から社会人になってから社会の歯車の一員を経験して色々と悟っちゃったのかなあ、なんて。脱線しました。

 話を戻すと、良い=理想の自分とは何かってことでしょうか。

 いましている仕事は公務員的な安定感のある仕事で、内容もそれなりにスリリングで毎日がドラマチックかつやりがいもあるし、職場の人間関係もたまに誰かしらに怒鳴られるけどまあそれを含めて面白いし「良い」。だけど、来年度からは自分も4年目になるので、それなりに自分の強みを生かした仕事をしていけたらなあ、とも思います。

 次に、もっと書きたいです。今年はもっと書きたい。僕は基本的に時間的に余裕があったり、暇だったりすると無性に書きたくなる性格なのです。だから、日々のルーティーンに追われたり、コンビニ弁当が続いたりするとすぐに書くのが億劫になってしまう。でも、この書くという行為をもっと自分の人生に割きたいし、書く力を磨いていきたいと思っているのです。そのために、しっかり書く、しっかり読むことを今年は意識していきたいと思います。
 次に、今年は年末あたりにニューヨークに行きたいかもしれません。いや、いまイランと米国の関係が緊迫しておりちょっと気軽に行ける雰囲気ではないのかもしれませんが、2年前に「3,4年以内にニューヨークに移住する!」って行きつけのカフェのマスターに宣言しちゃったんです。実は僕、初めて行った海外がニューヨークでして、そこでの衝撃が強すぎて住みたくなっちゃったのです。でも、それは短期的な訪問であって、実際に住むとしたらどうして良いか分からないわけで。なので、そうした曖昧模糊とした自分の理想や願望を明確化するためにも、もう一度聖地巡礼したいと思っています。

 あとは、洋書をもっと読みたいです。大学・大学院と英米文学専攻だったくせしてそんなに洋書を読めていないので、せっかく得たスキルなので、途中で眠くなっても、自分が身につけつつある希有なスキルをしっかりと自分のものにしていくためにも、仕事に生かすためにも、地道な趣味になれば良いなあと思います。そういえば、剣道もやっているので、そっちも段が一つくらいとれるようになったら良いと思います。

 ちょっと眠くなってきてしまいました。とりあえずこんな感じで2020年よりよろしくお願いいたします。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。