知冬の暮らしの手帖

27歳の知冬(ともふゆ)が綴る日々のあれこれです。

エッセイ: 東京学生マンションで過ごした日々

Odai「思い出の一枚」

 

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お題:思い出の一枚

 長い出張が終わり、やっとこの札幌を離れる40分前である。美味しい料理も毎日食べると有り難みが無くなってしまうし、美味しい料理への感動も薄れてしまう。色々なものから隔離されたビジネスホテルでの生活も終わり、ロビーになんとなく置いてあった「ポンタくん」ともお別れした。最終日の彼は、雪も降ってないのに毛糸の帽子とマフラーをしていた。
 さて、思い出の一枚の話である。iPhoneの写真フォルダを見返すと、出るわ出るわ昔の写真たちの嵐である。きっと、これらを全て現像することはないのだろうが、絶対に大切な写真は現像し、それを物理的なアルバムに整理整頓した方が、なんとなく心には良いと思われる。さて、そんな中で見つけた写真がこの一枚である。

 どんな写真かといえば、これは僕が3,4年前まで住んでいた学生マンションの狭い一室に置かれた机である。都内の学生マンション(食堂つき)ということで本当に一室はビジネスホテルのシングルルームのそれだった。だけどもなんだか置きたいものは色々あって、ついに電子ピアノまで置いていた次第だった。でも、基本的にはベッドと机のみである。そして、ご覧の通り、タイプライターを置いている。その隣にはウイスキーフィルムカメラときたものだ。当時の僕のスタイルは「ハードボイルド」。ふと見た「探偵はバーにいる」が意外に面白すぎて僕はすっかりその雰囲気にはまっていたのだ(今でも時折見返す映画である)。

 この写真を見ると色々なことを思い出す。こんな狭い部屋で同棲を企み、結果的に僕が鬱っぽくなり破局といった結末も、就活のために上京した友人を泊まらせ、彼が用意した自己紹介のパワーポイントを添削したあげく合格し感謝感激されたあの日のことも。まったく、こんなに小さい都内の一室にこれほどまでに物語があるとは驚きである。基本的には、僕はこの部屋に寝っ転がり、その多くの時間を読書に費やしていた。イトーヨーカドーレジスタッフ、個人経営の居酒屋ホールスタッフ、塾の講師に至るまで、すべてこの寝床から半径200メートル以内にあったのだから、当時の僕がどれほどレイジーだったかは想像に難くない。

 特に当時の学習塾では、約2年間も務めたこともあり、大変にお世話になった。特に、塾長に自分が鬱々と学生生活を送っていることを吐露した時に「やりたいことを思いっきりやっていれば良いんだよ」と言われ、「僕は本を読むことがたぶんそれなんですが、親からあまり良く思われていなくて…」と返すと「いや、それで良いんだよ」と普段は厳しいキャラクターだった塾長がそう優しく諭してくれた終業時のエレベーター前での会話は今でも時折僕の支えとなる言葉だった。

 振り返って思うに、僕はこれまで色々な人の目線や考えそうなことを勝手に忖度し、自分の人生を自分の手で不当にねじ曲げてきた気がしている。そうだ。もっと自分の思いに素直に、周りが僕を曲げようとしても、僕は僕なりの信念を、あの日「絶対に上京したい。東京以外の大学は受けない」と全くぶれずに親に説得していた時のように、貫いていくべきなのだ。そうすれば、僕の人生はもっと楽しくなると思う。

 自分の思いに素直になれる部屋。それが、当時の僕の部屋だったのかもしれない。
 
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 最後まで読んでくださってありがとうございました。